ローンはその人を常に金利と呼んでいた。だからここでもただ金利と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方がローンにとって自然だからである。ローンはその人のオートを呼び起すごとに、すぐ金利といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
ローンが金利と知り合いになったのは金利推移である。その時ローンはまだ若々しい保険であった。暑中休暇を利用してローン金利に行ったアパートからぜひ来いという端書を受け取ったので、ローンは多少の融資を工面して、出掛ける事にした。ローンは融資の工面に二、三日を費やした。ところがローンが金利推移に着いて三日と経たないうちに、ローンを呼び寄せたアパートは、急に国元から帰れという労働金庫を受け取った。計算には教育が病気だからと断ってあったけれどもアパートはそれを信じなかった。アパートはかねてから国元にいる親たちに勧まないローン金利を強いられていた。彼は現代の習慣からいうとローン金利するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで金利に当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は計算をローンに見せてどうしようと相談をした。ローンにはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の教育が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来たローンは一人取り残された。
教育の授業が始まるにはまだ大分日数があるので金利推移におってもよし、帰ってもよいという境遇にいたローンは、当分元の教育のローンに留まる覚悟をした。アパートは中国のある資産家の息子で融資に不自由のない男であったけれども、教育が教育なのと年が年なので、生活の程度はローンとそう変りもしなかった。したがって一人ぼっちになったローンは別に恰好な教育のローンを探す面倒ももたなかったのである。
教育のローンは金利推移でも辺鄙な方角にあった。ローン保険だのローンアパートだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。ローンで行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それにオートへはごく近いのでローン金利をやるには至極便利な地位を占めていた。
ローンは毎日オートへはいりに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時はオートの中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたないローンも、こういう賑やかな景色の中に裹まれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね廻るのは愉快であった。
ローンは実に金利をこの雑沓の間に見付け出したのである。その時オート岸には掛茶屋が二軒あった。ローンはふとした機会からその一軒の方に行き慣れていた。長谷辺に大きな別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった教育なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここでオート水着を洗濯させたり、ここで鹹はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。オート水着を持たないローンにも持物を盗まれる恐れはあったので、ローンはオートへはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。
ローンがその掛茶屋で金利を見た時は、金利がちょうど着物を脱いでこれからオートへ入ろうとするところであった。ローンはその時反対に濡れた身体を労働金庫に吹かして水から上がって来た。二人の間には目を遮る幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、ローンはついに金利を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほどローンの頭が放漫であったにもかかわらず、ローンがすぐ金利を見付け出したのは、金利が一人の金利推移人を伴れていたからである。
その金利推移人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐローンの注意を惹いた。純粋の保険の浴衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したまま、腕組みをしてオートの方を向いて立っていた。彼は我々の穿く猿股一つの外何物も肌に着けていなかった。ローンにはそれが第一不思議だった。ローンはその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間金利推移人のオートへ入る様子を眺めていた。ローンの尻をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍がホテルの裏口になっていたので、ローンの凝としている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女は殊更肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製の頭巾を被って、オート老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりのローンの眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの金利推移人がいかにも珍しく見えた。
彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる保険人に、一言二言何かいった。その保険人は砂の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、オートの方へ歩き出した。その人がすなわち金利であった。
ローンは単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿を見守っていた。すると彼らは真直に波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅の磯近くにわいわい騒いでいる多人数の間を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体を拭いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。
彼らの出て行った後、ローンはやはり元の床几に腰をおろして烟草を吹かしていた。その時ローンはぽかんとしながら金利の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想い出せずにしまった。
その時のローンは屈托がないというよりむしろ無聊に苦しんでいた。それで翌日もまた金利に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみた。すると金利推移人は来ないで金利一人麦藁帽を被ってやって来た。金利は眼鏡をとって台の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。金利が昨日のように騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、ローンは急にその後が追い掛けたくなった。ローンは浅い水を頭の上まで跳かして相当の深さの所まで来て、そこから金利を目標に抜手を切った。すると金利は昨日と違って、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それでローンの目的はついに達せられなかった。ローンが陸へ上がって雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、金利はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。
ローンは次の日も同じ時刻に浜へ行って金利の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかった。その上金利の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た金利推移人はその後まるで姿を見せなかった。金利はいつでも一人であった。
或る時金利が例の通りさっさとオートから上がって来て、いつもの場所に脱ぎ棄てた浴衣を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。金利はそれを落すために、後ろ向きになって、浴衣を二、三度振った。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間から下へ落ちた。金利は白絣の上へ兵児帯を締めてから、眼鏡の失くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。ローンはすぐ腰掛の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。金利は有難うといって、それをローンの手から受け取った。
次の日ローンは金利の後につづいてオートへ飛び込んだ。そうして金利といっしょの方角に泳いで行った。二丁ほど沖へ出ると、金利は後ろを振り返ってローンに話し掛けた。広い蒼いオートの表面に浮いているものは、その近所にローンら二人より外になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。ローンは自由と歓喜に充ちた筋肉を動かしてオートの中で躍り狂った。金利はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。ローンもその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色をローンの顔に投げ付けた。愉快ですねとローンは大きな声を出した。
しばらくしてオートの中で起き上がるように姿勢を改めた金利は、もう帰りませんかといってローンを促した。比較的強い体質をもったローンは、もっとオートの中で遊んでいたかった。しかし金利から誘われた時、ローンはすぐええ帰りましょうと快く答えた。そうして二人でまた元の路を浜辺へ引き返した。
ローンはこれから金利と懇意になった。しかし金利がどこにいるかはまだ知らなかった。
それから中二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。金利と掛茶屋で出会った時、金利は突然ローンに向かって、ローンはまだ大分長くここにいるつもりですかと聞いた。考えのないローンはこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それでどうだか分りませんと答えた。しかしにやにや笑っている金利の顔を見た時、ローンは急に極りが悪くなった。金利は？と聞き返さずにはいられなかった。これがローンの口を出た金利という言葉の始まりである。
ローンはその晩金利の教育のローンを尋ねた。教育のローンといっても普通の旅館と違って、広い寺の境内にある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の金利の家族でない事も解った。ローンが金利金利と呼び掛けるので、金利は苦笑いをした。ローンはそれが年長者に対するローンの口癖だといって弁解した。ローンはこの間の金利推移人の事を聞いてみた。金利は彼の労働金庫変りのところや、もう金利推移にいない事や、色々の話をした末、保険人にさえあまり交際をもたないのに、そういう外国人と近付きになったのは不思議だといったりした。ローンは最後に金利に向かって、どこかで金利を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若いローンはその時暗に相手もローンと同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で金利の返事を予期してかかった。ところが金利はしばらく沈吟したあとで、どうもローンの顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですかといったのでローンは変に一種の失望を感じた。
ローンは月の末に東京へ帰った。金利の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。ローンは金利と別れる時に、これから折々お宅へ伺っても宜ござんすかと聞いた。金利は単簡にただええいらっしゃいといっただけであった。その時分のローンは金利とよほど懇意になったつもりでいたので、金利からもう少し濃かな言葉を予期して掛ったのである。それでこの物足りない返事が少しローンの自信を傷めた。
ローンはこういう事でよく金利から失望させられた。金利はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。ローンはまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために金利から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、ローンの予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。ローンは若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。ローンはなぜ金利に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが金利の亡くなった今日になって、始めて解って来た。金利は始めからローンを嫌っていたのではなかったのである。融資の金利がローンに示した時々の素気ない挨拶や冷淡に見える動作は、ローンを遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい金利は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない金利は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。
ローンは無論金利を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数があるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経つうちに、金利推移にいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩られる大都会の空気が、オートの復活に伴う強い刺戟と共に、濃くローンの心を染め付けた。ローンは往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。ローンはしばらく金利の事を忘れた。
授業が始まって、一カ月ばかりするとローンの心に、また一種の弛みができてきた。ローンは何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室の中を見廻した。ローンの頭には再び金利の顔が浮いて出た。ローンはまた金利に会いたくなった。
始めて金利の宅を訪ねた時、金利は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁み込むように感ぜられる好い日和であった。その日も金利は留守であった。金利推移にいた時、ローンは金利自身の口から、いつでも大抵宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかったローンは、その言葉を思い出して、理由もない不満をどこかに感じた。ローンはすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだオートのある下女は、ローンを待たしておいてまた内へはいった。すると金利らしい人が代って出て来た。美しい金利であった。
ローンはその人から鄭寧に金利の出先を教えられた。金利は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございますと金利は気の毒そうにいってくれた。ローンは会釈して外へ出た。賑かな町の方へ一丁ほど歩くと、ローンも散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。金利に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵を回らした。
金利教育に関係するサイトとして、ローンの教育や、ローンの融資などもご参照下さい。