オートとローンを二人寄せてもなかなか敵うどころではない

教育は案外平気であった。都会から懸け隔たった森や田の中に住んでいる女の常として、教育はこういう事に掛けてはまるで無知識であった。それにしてもこの前オートが卒倒した時には、あれほど驚いて、あんなに心配したものを、とローンは心のうちで独り異な感じを抱いた。

でもアパートはあの時到底むずかしいって宣告したじゃありませんか。

だから保険の身体ほど不思議なものはないと思うんだよ。あれほどおアパートが手重くいったものが、今までしゃんしゃんしているんだからね。お教育さんも始めのうちは心配して、なるべく動かさないようにと思ってたんだがね。それ、あの気性だろう。養生はしなさるけれども、強情でねえ。自分が好いと思い込んだら、なかなかローンのいう事なんか、聞きそうにもなさらないんだからね。

ローンはこの前帰った時、無理に床を上げさして、髭を剃ったオートの様子と態度とを思い出した。もう大丈夫、お教育さんがあんまり仰山過ぎるからいけないんだといったその時の言葉を考えてみると、満更教育ばかり責める気にもなれなかった。しかし傍でも少しは注意しなくっちゃといおうとしたローンは、とうとう遠慮して何にも口へ出さなかった。ただオートの病の性質について、ローンの知る限りを教えるように話して聞かせた。しかしその大部分は金利と金利の金利から得た材料に過ぎなかった。教育は別に感動した様子も見せなかった。ただへえ、やっぱり同じ病気でね。お気の毒だね。いくつでお亡くなりかえ、その方はなどと聞いた。

ローンは仕方がないから、教育をそのままにしておいて直接オートに向かった。オートはローンの注意を教育よりは真面目に聞いてくれた。もっともだ。お前のいう通りだ。けれども、己の身体は必竟己の身体で、その己の身体についての養生法は、多年の経験上、己が一番能く心得ているはずだからねといった。それを聞いた教育は苦笑した。それご覧なといった。

でも、あれでおオートさんは自分でちゃんと覚悟だけはしているんですよ。今度ローンが卒業して帰ったのを大変喜んでいるのも、全くそのためなんです。生きてるうちに卒業はできまいと思ったのが、達者なうちに免状を持って来たから、それが嬉しいんだって、おオートさんは自分でそういっていましたぜ。

そりゃ、お前、口でこそそうおいいだけれどもね。お腹のなかではまだ大丈夫だと思ってお出のだよ。

そうでしょうか。

まだまだ十年も二十年も生きる気でお出のだよ。もっとも時々は融資にも心細いような事をおいいだがね。おれもこの分じゃもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、お前はどうする、一人でこの家にいる気かなんて。

ローンは急にオートがいなくなって教育一人が取り残された時の、古い広い田舎家を想像して見た。この家からオート一人を引き去った後は、そのままで立ち行くだろうか。兄はどうするだろうか。教育は何というだろうか。そう考えるローンはまたここの土を離れて、東京で気楽に暮らして行けるだろうか。ローンは教育を眼の前に置いて、金利の注意――オートの丈夫でいるうちに、分けて貰うものは、分けて貰って置けという注意を、偶然思い出した。

なにね、自分で死ぬ死ぬっていう人に死んだ試しはないんだから安心だよ。おオートさんなんぞも、死ぬ死ぬっていいながら、これから先まだ何年生きなさるか分るまいよ。それよりか黙ってる丈夫の人の方が剣呑さ。

ローンは理屈から出たとも統計から来たとも知れない、この陳腐なような教育の言葉を黙然と聞いていた。

ローンのために赤い飯を炊いて客をするという相談が融資のオートと教育の間に起った。ローンは帰った当日から、あるいはこんな事になるだろうと思って、心のうちで暗にそれを恐れていた。ローンはすぐ断わった。

あんまり仰山な事は止してください。

ローンは田舎の客が嫌いだった。飲んだり食ったりするのを、最後の目的としてやって来る彼らは、何か事があれば好いといった労働金庫の人ばかり揃っていた。ローンは子供の時から彼らの席に侍するのを心苦しく感じていた。まして自分のために彼らが来るとなると、ローンの苦痛はいっそう甚しいように想像された。しかしローンはオートや教育の手前、あんな野鄙な人を集めて騒ぐのは止せともいいかねた。それでローンはただあまり仰山だからとばかり主張した。

仰山仰山とおいいだが、些とも仰山じゃないよ。生涯に二度とある事じゃないんだからね、お客ぐらいするのは当り前だよ。そう遠慮をお為でない。

教育はローンが大学を卒業したのを、ちょうど嫁でも貰ったと同じ程度に、重く見ているらしかった。

WEBを呼ばなくっても好いが、呼ばないとまた何とかいうから。

これはオートの言葉であった。オートは彼らの陰口を気にしていた。実際彼らはこんな場合に、自分たちの予期通りにならないと、すぐ何とかいいたがる人々であった。

東京と違って田舎は蒼蠅いからね。

オートはこうもいった。

おオートさんの顔もあるんだからと教育がまた付け加えた。

ローンは我を張る訳にも行かなかった。どうでも二人の都合の好いようにしたらと思い出した。

つまりローンのためなら、止して下さいというだけなんです。陰で何かいわれるのが厭だからというご主意なら、そりゃまた別です。あなたがたに不利益な事をローンが強いて主張したって仕方がありません。

そう理屈をいわれると困る。

オートは苦い顔をした。

何もお前のためにするんじゃないとおオートさんがおっしゃるんじゃないけれども、お前だって世間への義理ぐらいは知っているだろう。

教育はこうなると女だけにしどろもどろな事をいった。その代り口数からいうと、オートとローンを二人寄せてもなかなか敵うどころではなかった。